脳硬塞の後遺症で唾液すら飲み込めなくなってしまったMさんが
発症から3ヵ月近くになって、一挙に回復を始めた。
まずはゼリーやプリン、ヨーグルトを数匙ずつ。
次第に飲み込む量も速度も増してきてミキサー食へ。
そして今日はついにお粥&キザミ食を完食できた!
本人ももちろんだけど、私もむちゃくちゃ嬉しくて
思わずバンザイしてしまった。
前任者から引き継いだものの、これまで経験のない症例で
勉強会資料と首っ引きで手探り状態だったから。

そんな私にMさんは言ってくれたのだ。
「前の先生の時は、訓練、訓練って無理にノドを押さえ付けたり
 もう痛くて痛くて、それやのにうまく行かなくて
 ダメやなぁって落ち込んでばっかりやったのに
 モモさんは何もしなかったでしょ。
 ただ私が自然と良くなるのを待って根気良く見守ってくれた。
 だから私もリラックスして自分のやり方でやって来れた。
 そのおかげで、こんなに早く回復出来たと思うのよ」

そんなことない!
何もしなかったんじゃなくて、どうしたらいいのかわからなくて
見守るしかなかったというのが本音なの。
先輩のやった痛い訓練も、回復には必要だったのよ。
Mさんの病気は時期が来れば回復するもので
たまたまタイミング良く私が居合わせただけ。

だけど、Mさんの言葉は、とてもとても嬉しかった。
反省点も明らかになったけれど、
わたしのやってたこともあながち間違ってなかったのかな、なんて
ちょっとだけ自信も持てた。
というか、リハビリの真髄が隠れているようにも思えた。

こういうのが、この仕事をやってて本当に良かったなと思える瞬間。
そしてMさんの言葉のおかげで、またもう少し頑張れるなと思う。

15年ぶりの再会

2002年7月14日
今日の日記は完全なひとりごとです。

*****

どうしても見たい絵があったので京都まででかけた。
京都は祇園祭の宵々山で、それはすごい人だった。
美術館行きのバスは満員だった。
降りた人の8割は向かいのシャガール展に吸い込まれて行った。
残りの2割(私も含め)がカンディンスキーだった。

15年前に、同じ場所で、カンディンスキーの一連の作品を
見た時の衝撃は今も生々しく身体中に残っている。
何がなんだかわからない絵なのに、不思議に心を捉えて離さない。
絵の前から動けなくなるという体験は生まれて初めてだった。

今回はそれほどの衝撃的な出会いはなかったけれど
久し振りに心豊かな懐かしい時間が過ごせた。

快く送り出してくれた夫と子供たち
そして、かつて私にカンディンスキーを教えてくれた旧友に
心から感謝します。

さすが、ミシュラン

2002年7月13日
といっても星の数とかグルメとは関係ないお話。

ペーパーな私にはよくわからないのだけれど
マニアな夫によると、我が家の車のタイヤは
もう取り替えないといけない時期なのだそうだ。
しかも、何がどう違うのかわからないのだけれど
ミシュランでないとダメなのだそうだ。
そこでみつけたのが、うちから目と鼻の先にある
「ミシュラントラックセンター東神戸」。

乗用車のタイヤなんか本当に扱ってるのかと心配になりそうな
それはそれは地味な建物だけど、
とても親切で手際良くてしかも値段は市価より4割位安い!

巨大トレーラーがすっぽり入りそうな広い広い作業場で
いかにもクルマ好きそうな兄ちゃん4人がかりで
丁寧に、だけどあっという間に取り替えられる一部始終を
息子たちといっしょに見せてもらえたのは
なかなか楽しい体験でした。

それから微調整のためいつものディーラーまでドライブ。
なんでそんなことのために平野まで行かないとダメなのか
そのへんも私にはよくわからないのだけれど
確かに乗り心地は格段に良くなった...ような気がする。
っていうか、変わりなかったらちょっと悔しいよね(^^;

ちょっとフクザツ

2002年7月12日
家に帰ってみたらジジババが来ていてびっくり。
長男から調子が悪いと電話があって、心配してきてくれたらしい。

そういえば一週間くらい前から咳と鼻水が出ていたけど
まあまあ元気で熱もないので普通に過ごさせていた。
今朝も普通に登校しプールにも入ったがその後だんだんしんどくなり、
家に帰って熱を測ったら38.4度もあったので電話したのだそうだ。

すぐに駆け付けてスイカやメロンやアクエリアスを買い込み
長男の看病と次男の遊び相手をしてくれたジジババに心から感謝!
だけど、ちょっとだけひっかかったのは
誰も私に知らせてくれなかったこと。
確かに仕事中に電話されても何もできないし
いつでもすぐに帰れるわけでもないのだけれど
長男もジジババも、ちょっと遠慮し過ぎ。
そんなに気を遣わせてしまっているのかな。。。

さらに気になったこと。
ジジババが帰り、夕飯の支度を始めた私に代わり
たまたま早く帰宅した夫が
長男をいつものK医院に連れて行ってくれた。
久し振りなので保険証が必要だったのだが、これが問題。
先月から扶養家族を外れた私の名前が
意味ありげな赤線で(笑)抹消されているのだ。
こんな夕方に父親がそんな保険証持って
幼子連れて行ったりしたら
『ひょっとして奥さんに逃げられたのでは?』と
思われてないだろうか?!
なんて、どーでもいいことだけど。

9年前は涼しかった

2002年7月8日
冷夏だったんだよね、確か。
お天気も冴えなくって雨ばっかりで。
オムツ(なんと布のを使ってたのだ)がなかなか乾かなくて
いちいちアイロンがけしたこととか
おかげであせもとは無縁で助かったこととか
それくらいかな、覚えてるの。

というわけで今日は長男の誕生日。
ところが夫は出張...これ幸いと外食に行ってしまった。(爆)
前から一度行ってみたかった「自分で揚げる串カツ」って店。
お金もないのにカード払いで食べてしまった。
息子たちはラムネ、私は生ビールで乾杯もして
3人でそんなにたくさん食べたわけじゃないのに
家族4人で回転寿司行くよりも高くついてしまったけど
いいよね、誕生日だし。

写真ができたよ

2002年7月6日
やっとTDRの休日の写真を現像に出した。
今回は使い捨てカメラを息子たちそれぞれに持たせて
彼らに好きに写させたのだ。
わけのわからん写真も混じっているけれど(ほとんどかも)
みんないい顏してるな。
楽しかったもんね!

というわけでTDRの3日間について
振り返って思うところを書きました。
残念ながら全然レポートじゃないです。
これからインパしようとする方の参考になぞは
間違ってもならないですので悪しからず。

終電なくなって

2002年7月5日
タクシーで午前様だなんて、結婚してから初めて。
今日は職場の新人歓迎会
新人と云っても採用されて1ヵ月以上経ったんだけど
私と研修医のM先生(なんと昭和51年生まれだって。若いよなぁ)
それから保健婦Nさんの産休明け復帰を歓迎して
というのは名目で(?!)とにかく異様な盛り上がりで
一晩で一挙に皺が増えたんじゃないかと思うくらい
笑いっぱなしの楽しい夕べだった。
改めて、良い職場の一員になれたことが嬉しかった。

ご近所ネタをひとつ。
若手ドクターのひとりが、うちのかかりつけのドクターKの息子さんと
某国立大医学部で同級生だったことが判明!
いや、ほんと、世間って狭いわ。
ドクターK開業の裏話を知りたい方、モモまでご連絡ください。(笑)
TDRレポはもう少し落ち着いたらさせていただくとして...

こんなキャンペーンがあります。
http://www.planetary.or.jp/muses-c/
宇宙のどこかに名前が残るって、なんだか素敵だと思いませんか?
モモ一家はいち早く登録してきました。
まだまだ空きがあるみたいですよ。
締切は7/6、興味のある方、急いで!

夢だったんだね

2002年7月1日
今日は一日中ずっと頭の中で
エレクトリカルパレードやプーさんの音楽が鳴っていた。

エレベーターに乗ると思わず「ドアが閉まるよ、アハッ!」と
ミッキーの声で叫びそうになって困った。

あぁ、また行きたいなぁ。。。
今度はTDSでショーやレストランを満喫したいな。
おみやげだって、もっとゆっくり落ち着いて選びたいな。
あれもこれも、って休む間もなく移動するんじゃなくて
余裕を持って、滞在してみたいなぁ。

夢は果てしなく。

夫の古い友人にEさんという男性がいて私も
何度か会ったことがあるのだが
かなり個性的で不思議な人物なのだ。
その「不思議」のひとつにTDRに妙に精通しているということがあって
今回の私たちのインパ計画についても事前に意見を求めた。
すると、アンバサダー泊という選択は評価して貰えたが
日程に付いては取り立ててイベントもないのに
県民感謝週間と株主パスポート期日が重なるので
マニア混みが予想され、お薦めできない日だと指摘されてしまった。

年間パスポート保持者のEさんのアドバイスに従うならば
3日目の今日はシーの方が空いてるんだろうとは思ったのだが
こどもたちはランドのアトラクションの方が気に入った様子で
もう一度乗りたい!という希望に応えることにした。

ランドは確かに昨日に比べて妙に混んでいて殺気立ったものすら感じられる。
プーさんのハニーハントなんて開園わずかにして90分待ちだ。
昨日20分待ちですんなり乗れたのがウソみたい。
ファストパスもすでに帰りの飛行機に間に合わない時間なので
今日は諦めることにする。

3日目となるとこちらの疲れも限界に近い。
歩き回るのも勘弁して欲しいって感じだ。
アトラクションも、できればもうのんびり座っているだけ、
みたいなものばかりにして欲しかったけれど
こどもたちは3大マウンテンとかシンデレラ城とか、
テンションの高いのがお気に入りらしい。
適当に夫と手分けして付合って、片方はベンチでボーっと待ってたり。
お互いにだんだん口数が少なくなってきたのを感じる。
アカン、トシやなぁ。。。情けない。

お昼に軽くハンバーガー食べて、シーに寄る気力もなくホテルに戻り
バスの時間までロビーでぼんやり過ごす。
贅沢なんだかもったいないんだか。(笑)

羽田空港がまた混乱している。
W杯決勝戦を目前に厳戒体制がひかれ異様な雰囲気なのだ。
帰りたくない、けど、早く家に帰りたい。なんとも複雑な心境。

家に着いたら午後6時過ぎ。
夢から覚めたような現実の中で
涙が出るほど愛おしい3日間が終わった。

******

今回、アンバサダーホテルのアンバサダーフロアの
スタンダードルームを利用しました。
スタンダードフロアに比べて1万円高値になりますが
専用ラウンジの利用、最上階の落ち着いた雰囲気、
無料の朝食付き、行き届いたサービス等考慮すると
決して無駄な出費ではなかったと納得できました。

特にうちは息子2人が小学生になってしまい
ツアーでも大人並みの料金が必要とされるので
一部屋いくらで利用できる個人手配の方が実は割安だったりするのです。
またブランドホテルならではの事前予約のメリットを考慮すると
非常に満足度が高いです。

これで飛行機が『一機丸ごと1万円キャッシュバック!』に当選すれば
最高だったのですが...(笑)
初めて東京ディズニーランドに行ったのは14年も前のこと。
会社の後輩の結婚式に招かれて上京する機会があり
その翌日、東京に就職していた大学時代の友人と衝動的に行ったのだ。
その頃ってアトラクションもそんなにたくさん無かったんじゃないかな。
いちばん印象に残っているのはシンデレラ城ミステリーツアー。
なんかしらんけどノリノリで盛り上がったのが楽しかった。

2回目は10年前、夫と出会う前。お見合い相手と。(秘)
この時はビッグサンダーマウンテンだな。50分並んだと思う。
エレクトリカルパレードにも感激したのを覚えている。

で、今回は3回目。
子連れなんかでいくと足かせはめられてるようなもんだから
そんなに楽しめないんじゃないかと、実はちょっと心配だった。
でもそれは全くの杞憂。みんなで行くと、それはまたそれで面白い!
子供とまったく同じ視線で心から楽しむことができるんだな。
この快適さ、徹底的に楽しませようとするサービス精神。
またしても見事に魔法にかかってしまって、
素敵な思い出でいっぱいになって
また来たいなって思わされてしまう。。。
これって、何なのかな?

さて、昨日胃痛に苦しんだ夫は、今日は下痢と
黄門様の痛みに悲鳴をあげておりました。(爆)
やはり体質的にハワイの水があわなかったのでしょうか
粘膜系統にダメージを与えられたようですね。
まぁでも後をひかずにこれくらいの被害で済んでよかったのかも。
今回のTDR行きは半年近く前から始まっていた。
次々とインパする友人たちのレポートをきくに連れ
今年こそは行きたい、行かねばならない、行ってみせるゾと決意し
とにかく行けばいいんだからと、最初は春休み夜行バス弾丸ツアーを
申し込もうとしていた。
しかし乗物酔いする長男と、自分の体力の低下を考えて却下。
それからはひたすらネットで情報収集。結局
・長男の誕生日前後
・アンバサダーホテル2泊3日
・往復飛行機。ネット予約で割引価格利用。
というシナリオが出来上がった。

職場を変わる前で余裕があったのも幸いした。
ホテルやレストラン情報、予約等
どれだけネットのお世話になったことか。
素敵で役立つホームページを作って下さっている
TDRフリークなみなさんに、心から感謝いたします。

*******

さて、仕事も学校行事も重ならず、誰も病気にならず、
いよいよ出発の日を迎えられた。嬉しい!!
始発のリムジンバスで空港に向かう。
飛行機も、羽田で乗換えたバスも実にスムーズで
10時前にはホテルに到着。
おぉ、テレビや雑誌で見た通りミッキーがいっぱいだ(*^^*)
荷物を預け3Dayマルチパスポートを購入しディズニーシーへ。

ディズニーシーは混んでいた。と私は感じたけれど
アトラクション全部そんなに待たずに制覇できたことを考えると
(ファストパス利用したにしても20分以上待った物はなし)
空いていた方なんだろうなと思う。
残念だったのはここ1ヵ月ほどとても忙しくなってしまったので
シー攻略の下調べが不十分だったこと。
ショーやパレード、レストランの情報がウロ覚えで
迷いながら行き当たりばったりな行動しかできなかった。
滞在時間が短かったにしても
やり残したことが多過ぎて未練がいっぱい。
また行かねば...!

で、タイトルについてだが(笑)
夫が朝から胃が痛いと訴えるのだ。
下痢体質だけど胃袋だけは丈夫なやつなのに珍しい。
空港の薬局で胃薬買って飲ませたけれど、どうもよろしくない。
何かヘンなもん食べたんちゃうのん?と聞くと
昨日取引先でヘンな水を飲まされたと云う。
なんでも日本では販売が認可されていないハワイの海洋深層水とかで
ダイエットには最高、と薦められたのだそうだ。
ひょっとして深海魚の卵とか幼魚とか入ってて、
胃袋に噛み付いてんのちゃう、とか想像したらむっちゃ面白くて
そのうちチョウチンアンコウの電気が透けて見えるかもね、なんて
夫には悪いけど笑い者にさせてもらった。(鬼)

可哀相に夫は今日のクライマックス「シェフ・ミッキー」の
豪華ディナーもほとんど食べられず
確かにダイエット効果は抜群のようだった。
「気分悪い」と青い顏しながらも
ミニーちゃんにチュウされたてニタニタしたのは男の性か。

ご褒美

2002年6月27日
1ヶ月、良く頑張りました。
夫も、息子たちも、本当に良く我慢して、協力してくれました。
みんながんばったご褒美に、明日は学校も仕事もお休み。
月末までの2泊3日、パァっと遊んできます。

気が向いたらレポートします。
何気なく長男を、手でピストル作って「バーン!」と撃ってみた。
なんと長男は無反応。
な、な、なんでやねん!
探偵ナイトスクープでも検証されたように
関西人なら「あぁっ!」とか云って死んだフリするのがデフォやろ?
犬でも「お手」より先に、この芸を覚えるんやで(ホンマカ)
アンタなぁ、アタシの息子やろ?
将来、お笑い芸人目指してるんちゃうん?
いくら生まれたのが名古屋で、川崎と東京で数年過したからって、
これくらいのこと、反射的にできひんでどないすんねん!

それから数十分間
「バーン!」「あぁっ!」の特訓が行われたのは云うまでもない。
でも、まだまだ照れがある...情けないぞ、長男。

>ご近所のみなさん
長男をみかけたら、遠慮なく撃ってやって下さい。
気が付いたら新しい職場で3週間が過ぎた。
とにかくトラブルだけは起こさないよう
どちらかといえば受け身だったけれど、
それでも何もかもが新鮮で、夢中だった。

いちばん心配だった朝の早さもなんとか今のところ
寝坊もせず無遅刻でがんばっているし
こどもたちも戸締まりや留守番を間違いなくできている。
なんとかなるもんだね。

慣れてきた頃が恐いと思うから、ここらでちょっと気を引き締めて
また来週からひとつひとつ片付けて行こう。

1/1万人の思い出

2002年6月19日
指揮者の山本直純さんが亡くなった。

モモは昔、この人の指揮で歌ったことがある。
大阪城ホールでやっていた「1万人の第九」というやつだ。
だいぶ前のことなので、おぼろげにしか覚えていないけれど
テレビで見ていた通りのパワフルでおもろそうなおっさんだった。
だけどこの人って本当はものすごぉくデリケートなんじゃないかと
感じさせられる何かがあった。
シロウト相手に、イラツクものを押し隠しながら、
とにかく何とか形にまとめて盛り上げようと、
奮闘されているのが涙ぐましかった。
(とモモは勝手に思っていた)

彼の「オーケストラがやってきた」という番組が大好きだった。
『ただ何となく音楽が好き』から『音楽って面白い』へと
目を開かせてくれたのがこの番組と、もうひとつ
黛敏郎の「題名のない音楽会」だった。
(間違っても「題名のない音楽会21」ではない)
この二つの番組、今でももしやっていたら、
何を差し置いてもこどもたちに見せただろうなって思う。

山本直純さんは、指揮者という存在をとても身近に感じさせてくれた。
今、指揮者って云われて、誰を思い付くだろう?
小澤征爾?ムム...遠すぎるよなぁ...

ところで「第九」が独語で歌えるモモですが、ついでに自慢しちゃえば
「アイーダ」を伊語で歌うこともできます。
これ、なぜかW杯でサポーターが歌っているんですよね。
どういういわれがあるのですか?
誰か教えてください。

予防注射

2002年6月18日
次男の日本脳炎の予防接種に行った。
近所のかかりつけのK医院。
なんと、丸1年ぶり。去年の「ビー玉事件」以来だ。
(興味のある方はモモの日記のバックナンバーを探してみて下さい)

幼児時代は注射なんてものともしなかった無敵の次男、
なぜか最近になって怖がるようになった。
今回も数日前から「イヤやぁ」「やりたくない」とうるさいこと。

待合室に入っても「痛いのイヤやぁ」「こわいよぉ」の連発。
熱を測ったら37.3度もある!
ウソやぁ、そんなん困るわ!オデコ触っても冷たいのに!
もう一回測り直すと36.6度。
良かったぁ...←自分の都合しか考えてない鬼母
さっきのはなんやったんや、念力か?!

順番が来てドクターKの前に行っても「イヤやぁ」と泣きそうな次男。
「昔は大丈夫だったのに知恵がついてきたね」とドクターK。
ニコニコしながら容赦なく注射器をぶっ射す。

さすがに泣きはしなかったけど帰り道も「痛い痛い」とうるさいこと。
ま、それでもよく頑張ったね!
長男の習っている空手教室の交流試合があったので
家族でT市の武道館まででかけた。
小学2年生から中学生まで、学年別にトーナメント制で競い合うのだが、
これがなかなか面白く、6時間近く、真剣に見入ってしまった。

低学年でも闘志をむき出しにして相手に向かって行く子もあれば
大きくなってもニコニコ楽しそうに走り回るだけの子もいる。
それぞれのキャラクターはもちろん、
器用さとか、運動神経の善し悪しもわかってしまう。
(長男?聞かないで下さい...)

黒帯の中学生ともなれば体格も立派、動きも機敏で
決勝戦なんて映画の1シーンのようにカッコ良かった。
いやぁ、エエもん見せてもらった。


ところでその会場は空港に近く、飛行機の騒音がものすごい。
手が届きそうに見える飛行機の大きさにもみんなビックリ。

だけどモモはとっても懐かしい気分でいっぱいだった。
実はそのあたりはモモの生まれ育った街なのだ。
その街を離れて15年になるというのに、
騒音がだんだん当たり前のように感じられるのが不思議だった。

子供の頃は、尾翼の色やマークで飛行機会社を判別できたし
エンジン音を聞いただけで機種がわかるのも自慢だった。
小学校の教室は防音二重窓でクーラー完備だったり
公害地域だからとNHK受信料が安かったりした。
閉眼片足立ちができないとか、鼻血が出やすいとか
身体に良くないこともたくさんあったんだろうと思うけれど
他人とは違う環境をそれなりに楽しんでいたように思う。
目の前の熱戦を眺めながら、そんなことを考えていた。

さて試合の間中、次男は同学年のお友達と遊び呆けていた。
みんなお兄ちゃんの試合に連れて来られた次男たち。
親達も「そのへんで遊んどき」と放ったらかしで
これ幸いと長男の試合の応援に没頭していた。
次男軍団がどこで何をしていたのか(うちも含めて)
みんな知らない...。知りたくない...。(爆)(爆)

帰ってきた水筒

2002年6月15日
次男の水筒が見つかった。
無くした場所から十数メートル離れたところに転がっていたのを
近所の方が見付けて届けて下さったのだ。

無くなった直後、もちろんそのあたりも探したのに
みつからなかったことを考えると、
間違えて持って行った人が返しにきたんじゃないかと思う。
だから、たぶん悪意はなかったんだろうと思うと嬉しかった。
でも、実は今日の午前中住吉まで出て新しい水筒を
買ってしまった後だったりする。
ま、いいか...
森島選手の得点は、集中治療室でカルテ書いてた時に
ナースが走ってきて教えてくれた。

ヒデのゴールはベッドサイド・トレーニングしながら
患者さん(81才)とテレビで見て大いに盛り上がった。

勝利の瞬間は見逃したけれど、トルシエ監督のインタビューは
言語室の隣の当直室のテレビで見ることができた。

みんなまじめに仕事やってますのでご心配なく。

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