PEARL PIERCEというアルバム。
2005年10月19日 音楽
くらり音子さんへ。
貴女のあげてらした『Neue Musik』ではなく
あえて、このアルバムで語らせて下さい。
「彼女は知らないなら 友達になるわ
それしかあなたに会うチャンスは無いもの、今は」
ハタチの私は、この歌詞の「彼女」「あなた」を
固有名詞思い浮かべて歌っていました。
この歌だけじゃない、このアルバムの歌、すべて。
しかも「あなた」の車の中で、「彼女」も一緒に聴いて、歌って
”それはオレへの当てつけかぁ〜”と苦笑いさせてやりました。
そんな私にとって、この歌詞は「昔を思って」に他なりません。
でも、悲しいんじゃない。
未練がない、と云えば嘘になるけど、もう、終わったこと。
歌って、吐き捨てることで、前に進む力に変えるの。
再起と云えば再起なんだけど
それは再び「あなた」をモノにすることではなく
もっとイイ女になって、もっとイイ男を掴んで
どうよ!って感じで「あなた」に会うの。
これって、ただの強がり? そうだよね。。。
別離=失敗を、正当化、美化したいだけだったんだな、と
今は、はっきりとわかります。
真珠のピアスを「彼のベッドの下に片方捨てた」のも
「昔の彼に会うのなら、ちょっとキレイにしていく」のも
ヨリを戻したいんじゃない。
戻れないことはわかりきってるもの。
「あなたに相応しいのは私じゃない」のだから。
やがて月日が過ぎると
「向かい側、ホームの端にあの人が立っていた」
この頃にはすでに「あの人」と云えるようになっていて
思いっきり懐古にふけるんだけれど、だけど結局
「呼べずに、呼べずに、時は去き」
でも「その時、苦しみが消えてゆくのを見た」
そして「あなたは私のグレーのしみになる」んですよ。
で、締めくくりは「忘れないでね」。
アルバム通して聴くと、当時の典型的な女性像が見えてきます。
そしてそれに見事にハマっていた、ハタチの私!
ほんと、そのまんまじゃん。
ユーミンの歌は、大好きだし、詩も曲も完璧だけど
論じるほど奥深くはない、と、私は思います。
たぶんユーミン自身もそういうの望んでないだろうとも。
貴女のあげてらした『Neue Musik』ではなく
あえて、このアルバムで語らせて下さい。
「彼女は知らないなら 友達になるわ
それしかあなたに会うチャンスは無いもの、今は」
ハタチの私は、この歌詞の「彼女」「あなた」を
固有名詞思い浮かべて歌っていました。
この歌だけじゃない、このアルバムの歌、すべて。
しかも「あなた」の車の中で、「彼女」も一緒に聴いて、歌って
”それはオレへの当てつけかぁ〜”と苦笑いさせてやりました。
そんな私にとって、この歌詞は「昔を思って」に他なりません。
でも、悲しいんじゃない。
未練がない、と云えば嘘になるけど、もう、終わったこと。
歌って、吐き捨てることで、前に進む力に変えるの。
再起と云えば再起なんだけど
それは再び「あなた」をモノにすることではなく
もっとイイ女になって、もっとイイ男を掴んで
どうよ!って感じで「あなた」に会うの。
これって、ただの強がり? そうだよね。。。
別離=失敗を、正当化、美化したいだけだったんだな、と
今は、はっきりとわかります。
真珠のピアスを「彼のベッドの下に片方捨てた」のも
「昔の彼に会うのなら、ちょっとキレイにしていく」のも
ヨリを戻したいんじゃない。
戻れないことはわかりきってるもの。
「あなたに相応しいのは私じゃない」のだから。
やがて月日が過ぎると
「向かい側、ホームの端にあの人が立っていた」
この頃にはすでに「あの人」と云えるようになっていて
思いっきり懐古にふけるんだけれど、だけど結局
「呼べずに、呼べずに、時は去き」
でも「その時、苦しみが消えてゆくのを見た」
そして「あなたは私のグレーのしみになる」んですよ。
で、締めくくりは「忘れないでね」。
アルバム通して聴くと、当時の典型的な女性像が見えてきます。
そしてそれに見事にハマっていた、ハタチの私!
ほんと、そのまんまじゃん。
ユーミンの歌は、大好きだし、詩も曲も完璧だけど
論じるほど奥深くはない、と、私は思います。
たぶんユーミン自身もそういうの望んでないだろうとも。
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