一昨日みた『ハウルの動く城』のことが
どうも頭から離れなくて。

検索しまくっていろいろなレビューやら感想やら
解釈やらを読むが、どうもやっぱりスッキリしない。

それでも、なんとなくわかりかけてきたこともあって。

すると、こいつはひょっとするとタダモノじゃなくて
モノスゴイ作品なのかもしれないという気がしてきた。

(ここからはおそろしくネタバレになるかも)

ソフィは、自分に自信がなくて、チマチマ毎日送ってる女の子。
以前の宮崎アニメのヒロイン達のような明るさとか健気さとか
前向きなところも、夢や生きる力も感じられなくて
「どーぜアタシなんか」的に生きてる。
まるでそれは90歳の老婆そのもの。
だから彼女は姿を変えられた時も、悲しみにくれたりするのではなく
比較的すんなりと受け入れられたんだと思う。
むしろ老婆になった自分に安心し、そのことを楽しんでいるフシすらある。
不自然なくらい自然に(笑)お婆ちゃん言葉を使いはじめたりして
お婆ちゃんならこうであるべき、みたいなのに自分をハメこむもの。

荒地の魔女のかけた魔法は「90才にする」んじゃなくて
心の年齢が姿に表れるようにってものだったんだろうね。

ソフィの姿は、だから、ころころと変化するんだ。
いちばん愛らしかったのは寝顔かもしれない。
ハウルも見とれていたよね。

ソフィはハウルに恋をした。
だけど彼女は「どーせアタシなんて・・・」とイジけ虫。
素直になれない心は老け込み、身体も老け込む。
だんだんと自信が付いてきて、ほんとにほんとに好きになって
イジけてなんていられなくなってくると本当の彼女が見えてくるのだ。

一人の女の子が恋をして自分に自信を持てるようになるお話。
そして、その女の子の恋が、愛する人を救い、戦争をも止めさせるお話。

つまり、たった一つの恋が、戦争を止めさせる力がある、というか
戦争なんて、たった一つの恋にも及ばないくだらないものだ、と
宮崎さんが言いたかったのは、そういうことなんじゃないかと思う。

一方、ハウルについて。

...と、疲れたのできょうはここまでね。
また気が向いたら続きを書きます。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索