その時、私は何も知らずに眠っていた。

いつものように布団に入ったまま夫を会社に送り出し、
再びまどろみかけた時、電話が鳴った。
会社に着いた夫からだった。
「たいへんや、神戸で地震や!早くテレビ見てみぃ!」
何を云ってるんだろうとリモコンのボタンを押した途端、
横倒しになった高速道路が映し出された。

それから数日間のことは断片的にしか思い出せない。
実家に電話が繋がらなかった時のあの気持ち。
実家だけじゃなくって手当りしだいに電話をかけたけど関西方面は全部アウトだったこと。
1才半になったばかりの長男を抱き締めて、わんわん泣いていたこと。
両親の無事が確認できたのが昼だったか夜だったか、それも覚えていない。
ただ、その時間に何も知らずぐうぐう寝ていた自分が腹立たしかった。

夫は3日後、リュックを背負って実家に向かった。
妊娠7ヶ月の私は長男と残った。
それまでと何ら変わらない時間が流れていた。
被災地の様子は、そこでは「他所事」でしかなかった。
近所の友人は私を励ますつもりでこう云った。
「テレビに映ってるような酷いところはほんの一部分だけだって。
 他はたいしたことないみたいよ」
心底好意から出た言葉だというのはわかっていても、許せなかった。
なんで私はこんなところにいるんだろう、と思った。
だけどどうすることもできなかった。
 
  どうすることもできなかった?
  ほんとうに、どうすることもできなかったのか?

幾度も繰り替えしたこの問いが、その後私を神戸に住まわせ、今の暮らしに繋がっている。

まだ、何も終わっていない。
 

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